生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(9)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

愈々父の日記に入ります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1945(昭和20)年
3月31日 
昭和20年本日限りで列車寝台はなくなる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
軍隊輸送が大きな使命になったので、寝台列車が廃止されたものと想像しています。

私は小学校(国民学校といいました)三年生の春休みでした。釜山港に日本の空母が一隻入港してきました。父の局長官舎は釜山港全体を見下す小高い山の山裾に位置していたのでよく見えました。余談ですが、兄と二人で父親書斎にあった双眼鏡を持ち出して観察したことが父親に見つかり、「スパイ」「国賊」と叱られたことを鮮明に記憶しています。

この時期に空母が残っていたとは不思議であり、後年艦名を調べてみたのですが分かりません。市街に戦車が列を成して進入し来、これもよく見えました。4月になって登校したら、校庭は陸軍のテント村になっていました。休み時間には兵隊さんと遊び、鉄砲を触らせてもらいました。当時、「米軍は沖縄の後、対馬か釜山に陸に上陸する」と大本営は予想してようで、応戦準備をしていたものと思われます。今思えば、子供の時に戦時体制陸海軍の姿を立体的、パノラマ的に見る機会を得たことは貴重で、これが私の「戰爭観」の柱となりました。

鉄道官舎に隣接して陸軍官舎が建設されました。とくに父の局長官舎道と道を挟んで向いに陸軍釜山軍指導部の俄か作り官舎が建設されました。両官舎の子供達はお互いに訪問しあって仲良く遊んでいました。後年京大の同じ研究室でお世話になり、かつ、拙著『生涯現役エンジニア』(丸善)の巻頭に「推薦の書」を書いてくださった4年先輩の乾(いぬい)智行教授の御父上が、陸軍大佐としてその時期に釜山におられたと伺ったので、多分隣接して住んでいたのではないかという話になりました。

夜間に空襲警報は鳴り、都度母に起こされて防空壕に隠れましたが、まだ実際の空襲はありませんでした。局長官舎は小高い位置の山裾に位置していたので、裏山に横穴を掘った鉄筋コンクリート製の立派な防空壕だったことを記憶しています。

この頃、海軍航空隊に志願入隊していた弟(私からば叔父)の有賀澄男の訪問を受けました。そして戦闘機によるB29の撃墜戦法を教えてもらい、頼もしく感じました。叔父が去った後、母は毎日新聞を心配そうな顔をして見ていました。特攻に出撃した飛行士のリストの中に叔父の名前をさがしているものでした。
父の日記に関連して私の思い出を記述しました。日記は(10)へつづきます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 07:34 |

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