生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(5)。  

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 私の父親、田邉多聞著の大東亜戦争に関する総括はまだまだつづきます。『朝鮮交通回顧録(終戦記録編)第四章 釜山地方交通局管内』(1976年、鮮交会発行)の書き出しの部分でございます。父は言います――。

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「ところがこの戦に敗れたことがないということが、今回の敗戦に当たって国民を大いに困惑させてしまった。戦争に負けるということはどういうことなのか、又敗けたらどういう現象が起こってくるかという世界の一般人並の常識の持ち合わせがなかった。敗戦后の世の中を考えるだけでも非国民だというような教育が徹していた関係もあろう。とにかくわが国民は敗戦ということに関しては全く処女であった。第一に戦に敗れて国民生活は在り得ないと考えて居たのであるから、敗戦后の生活など考えたこともないという国民が圧倒的多数であった。であればこそ敗戦に当たってもっとも有力に物をいう金とか宝石というようなものを何の未練もなくどしどし供出していったのであるが次の戰爭にはもう少し利口になっていることだろう」と。 

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 まだ続くのですが、ここで切ります。

 父親の「すごい」ところは、「次の戰爭には・・・・・」と述べていることでございます。父親は軍人ではありません。それにも拘わらず「次の戰爭・・・」と言っていることは、すごいと思います。

「すごさ」の根源は、家の伝統にあります。別の蘭で書きましたが、私の田辺家の祖先は、熊野神社の別当田辺湛増でございます。田辺(現在の和歌山県田辺市)に住んでいたので「田辺の湛増」と呼ばれていました。源平合戦においては、熊野水軍を率いて義経に味方し、「壇ノ浦の合戦」の勝利をもたらしました。

その功により頼朝から関東に所領を賜りましたが、「承久の変」では後鳥羽上皇側について負け、子孫は丹後田辺に逃げて生き延び、子孫は「建武の中興」、「新田義貞の鎌倉攻め」、「南北朝動乱」、「応仁の乱」、「若狭武田と越前朝倉の戦い」、「甲斐武田と尾張織田の戦い」、「長篠の合戦」、「天目山の戦い」、「関ヶ原の戦い」、「大阪冬夏の陣」、「島原の乱」と戦乱の中で生きのびました。

 その後260年の平和な徳川時代を、常に武器を帯びた「武士」として過ごし、幕末明治初期には「伏見街道鳥羽街道の戦い」、「江戸城開城」、「会津戦争」、「函館戦争」を経験し、明治になってから「台湾出兵」、「日清戦争」、「日露戦争」、「第一次大戦」、「満州事変」、「蒋介石との戦い」、「大東亜戦争」と、「連綿」とつづく戦争の中で生き残ってきた一家ですから、「これで戦争は終わりである」という甘い考えはまったくありません。ですから、「次の戰爭・・・」ということばが素直に出てきたものと思われます。

 次回は(6)につづきます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月13日 21:15 |

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