生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(3)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 ここに紹介する史料は、私の父親、田邉多聞著『朝鮮交通回顧録(終戦記録編)第四章 釜山地方交通局管内』(1976年、鮮交会発行)でございます。

 ―― 『鮮交会』とは、敗戦後日本に引上げてきた鮮鉄(日本政府の朝鮮総督府直轄鉄道)従業員の同窓会でした。年とともに会員が鬼籍の人となり、1990年代に解散したと聞きます。会長は当時の本局長であり、地方局長だった私の父親田邉多聞は関西支部長をしていました。

 ―― 最初にこの史料に記載されている「朝鮮の交通」事情を紹介します。次の通りです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「朝鮮の交通発展となった鉄道の創業は、明治32年9月18日仁川・鷲鏡津間33キロ余の営業開始にはじまり、日本の鐡道創設に遅れること27年であった。
同39年京釜・京義縦貫鉄道の速成が行われ、引続いて湖南線、京元線、咸鏡線等の幹線が建設されたが、昭和2年以降鉄道建設12ヶ年計画の実施によって、図們線、満浦線、恵山線などの開通を見、既設の京義線の他新たに満鉄線との連絡が実現した。

 その後平元線の開通によって京元線とともに半島の横断線を形成し、さらに中央線の完成は、京釜線と並ぶ南部縦貫線となった。こうして終戦時の朝鮮鉄道の営業キロ数は、国有鉄道5,201キロ、民営鉄道1,276キロ計6,477キロに達し、釜山と北京、ハルピン、新京、奉天間および京城と牡丹江には毎日国際急行列車が運行されていた。

 管理機構としては、昭和18年12月1日の機構改正で鉄道、海事、港湾、航空、税関を一丸とした総合交通管理体制が実現され、中央の交通本局のほか、京城、釜山、咸興に地方交通局、平壌、順天に地方運輸局を置き、従業員総数は108,813人(内日本人は約30,000人)― 昭和20年2月末現在 - であった」と。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この記述により、日本が多額の資本を朝鮮半島の鐡道網建設に投じたことが分かります。次回は(4)です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月13日 21:03 |

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