生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(29)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
10月2日
 このころになると釜山埠頭は奥地から押しかけてくる引揚民のため足の踏み場もない程の混雑を呈して来た。38度線以南の日本軍12万の内既に今日迄に2万人は釜山経由帰還、残り10万の内2万は仁川より乗船、あとの8万人を釜山経由急遽内地に送還せよという命令が来たためライト中佐は今日より一日平均8千人の軍人を乗船せしめ十日間をもって終了するという。このため当分の間一般引揚民の輸送、乗船は一切停止となった。内地向船舶郵送力はこの目的のため従来の興安、徳寿、雲仙、甘州の五隻の外に黄金、興寧、間宮の三隻が増強せられ一日平均7500人の輸送力が確保せられることとなった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 以下は私田邉康雄のコメントです。

 父の日記により、「38度線以南の日本軍が12万人居た」ということが分かりました。

 ―― 米軍の最優先は、(民間人の内地送還よりも)在朝鮮半島日本軍の「武装解除」と朝鮮半島からの「排除」でした。武装解除の方は、日本軍が整然と自ら行動して達成したので、米軍の手間はかかりませんでした。残った課題は「排除」の為の輸送でした。敗戦から42日経過したこの時点で朝鮮半島に居た日本軍は8万人でした。

「10日間で釜山経由急遽内地に送還せよ」
 と、いう命令が来ました。
 一日平均8千人の送還です。そこで父多聞たちは頑張って8隻の引揚げ船を準備し、一日平均7500人の輸送力を確保してこの難題に応えました。

 以下、このことに関連して私の想いを述べさせていただきます。

 ―― 1945年2月に旧ソ連クリミア半島のヤルタ近郊で米英ソ連首脳により行われた会談は「ヤルタ会談」と呼ばれています。しかし私はこれをヤルタの「密約」と呼称しています。なぜならば、領土など当事国「不在」の場で当事国の権利を決めたからです。そしてその「秘密決定」が現在にいたるまでの世界情勢を決定づけています。

 ―― 戦争に負けてはだめだ。
 密約によって世界情勢が決まることを知った私は、この思いを改めて強くしています。「負ける」とは、「領土」とその上に住んでいる「民」の扱いを秘密裏に、かつ、一方的に決定され、それに基づいて領土・民が蹂躙されることだと。
戦勝国(United Nations「連合国」)による「蹂躙」は現在もなお、継続しています。多くの日本人はそのことに気が付いていませんが。

 ―― 戦勝国になりたい韓国
 敗戦国の一員である韓国は、戦勝国の一員であったように振る舞いたがるのは当然です。戦勝国のような顔をして敗戦国日本を蹂躙できるからです。
現に日本の敗戦後、まるで戦勝国のような振る舞いをして「戦勝国ではない。第三国だ」とGHQからお灸を据えられました。

 この件に関して私は、GHQが間違ったと思います。「戦勝国ではない。敗戦国だ」と言うべきでした。ここを間違ったので、随分以前の明治・大正時代から、朝鮮半島を食いあげて内地に渡ってきた半島の貧困層が、「我が物顔」に日本国内で暴力を振いました。これが第三国人であり、それが現在の在日特権にまでつながっています。この第三国人が今の「反日」派の在日韓国人であると私は理解しています。

 ―― 話をもどして、「ヤルタの密約」において朝鮮半島は、「連合国による信託統治」と決まったそうです。そして米ソ連は、38度線を境にして両国で占領しました。38度線以南を占領した米国は「軍政」を敷く方針で臨みました。米国は、軍政を円滑に実施する目的のために、日本の朝鮮総督府をそっくりそのまま引きつぎました。

 ―― 因みに台湾は、「密約」において中華民国に返還することに決まっていたので、米国軍政はありませんでした。この点がその後の朝鮮と台湾の運命を定めたと私は考えております。
台湾に関しては、「日本の善政」を台湾の方が恩義に思ってくださっているので、このことが現在の台湾に「親日」の方が多い理由であると言われ、これが定説です。
しかし、果たしてそうでしょうか。「善政」に関しては台湾も朝鮮も大差はなかったと私は思っております。台湾と朝鮮の差は、何か別の理由があるように思えます。例えば米国による軍政の「失敗」と、それにつづく韓国への継承の「失敗」です。これは今後の私の研究課題です。

 ―― 米国の失敗
 朝鮮半島は、日本の「植民地」ではなくて「日本」ですから、米国は、日本が米国と単独の「平和条約」(1951年9月サンフランシスコ)を締結するまで、韓国を独立国扱い(1948年8月13日の李鐘晩による独立宣言の黙認)してはならなかったと私は思っております。軍政を委任されたホッジ中将が、せっかくの軍政を放棄したのはなぜでしょうか。

 1.理由の第一は、恐らく冷戦がはじまって、ソ連との関係改善に忙殺されていた当時としては、韓国内(朝鮮半島内)の事情にまで十分に知恵が回らなかったこと。

 2.理由の第二は、朝鮮半島人の「知識・教養の高さ」を甘く見ていたこと。

 ―― 第二の理由に関して考察を展開します。米国人は、欧米の植民地、例えばインドのように搾取され「がりがりに痩せた」朝鮮半島人を想像してきたものの、ホッジ中将率いる米国第24軍が進駐してみると、日本人と区別がつかない半島人を発見して驚きました。
 これは日本が朝鮮半島を「日本」として運営し、半島人を差別せずに高等教育を授けた賜物でした。帝国大学(東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋)と同格の京城帝国大学を設立し、朝鮮半島人に大きく「門戸」を開いていたなど、欧米の植民地経営国家に想像ができたでしょうか。
知識・教養の高い朝鮮半島人が、米軍による信託統治に長く甘んずることができないのは、当然の成り行きでした。そしてホッジ中将は半島人を制御できませんでした。

 ―― 今回は、朝鮮半島に駐屯していた日本陸軍の早期復員に関連して私の想いを連ねました。そして重要ですから繰り返します。

 1)韓国は、第二次大戦の「戦勝国」として世界の中で位置づけしてもらいたい。
 2)米国は、朝鮮半島人が日本によって高度の高等教育を授けられていたとはつゆ知らず、半島人の能力を甘く見て軍政に「失敗」した。

 この二点が現在韓国の反日姿勢の根本にあると考えています。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 ―― 次回は(30)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月18日 03:47 |

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