生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(20)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

1945(昭和20)年
9月1日
 本日、米双発機一機超低空にて釜山市街上を飛行す。終戦後始めてみる米機である。
9月2日
 興安引揚民を満載して出港、入れ替わって徳寿入港、下関より2500人の朝鮮人を運んでくる。終戦以来、路傍に於ける物売俄然殷賑となって来たが、米一升7円、林ご1個1円、海苔巻1本
2円と言ったところ。
9月3日
 8時徳寿博多へ向け出港。
9月4日
 興安出港、本夕、米軍機、南鮮民衆に告ぐという布告文を散布す。
9月5日
興安入港、このところ連絡船は興安、徳寿の二隻でほぼ毎日一運航確保、引揚輸送順調である。
9月6日
 本朝興安出港後の残客2,000となり先日来の埠頭は漸く一掃に近い状態となる。朝鮮軍より愈々明后8日米軍仁川に上陸を発表。本日より100以上の船舶も生活必需品輸送のため許可を受けて航行可能となる。海外派遣の軍隊約300万人及び在外邦人引揚げのため、日本船舶の航行し得るもの全部26万トン及び破損船舶を修理して之に充当することにつき、連合国の許可を得た旨東京政府の発表あり。引揚げ輸送につき漸次全貌が明らかになってきた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

 米軍機が空から散布したい朝鮮人向けビラの内容に興味があるのでウエブで検索してみました。するとサイト「朝鮮人民共和国」の中で「9月に入って米軍の飛行機が飛来し、『近日中に上陸』『布告及び諸命令は現存する官庁(=朝鮮総督府)を通じて発布する』というビラをまいた」と書かれていることを発見しました。この内容は、米軍が一旦総督府を引き継ぐことを意味しますから、父親の日記と一致します。

 ―― この時点ではまだ米軍は上陸していませんから、父の行動は朝鮮総督府からの指令だけによっています。そして総督府はまだ米軍の指令を直接には受けていません。

―― また「連合国の許可を得た旨東京政府の発表あり」と言っています。これは総督府が「終戦後の活動」に関して日本政府の「直接指示」を受けていないことを意味します。

―― 以下の日記においても、「日本政府から指示を受けた」ということは記載されていません。即ち、朝鮮半島は「あたかも」独立国のように運営され、総督府が内地(日本)の中央官庁のような機能をはたしていたことが分かります。

―― 父親は日本の中央官庁からの「出向」ではありません。東大法学部を出て高文試験に合格し、直接総督府の鐡道局に入局したものです。これを見ても「朝鮮半島が日本の植民地ではなかったことが分かります。中央官庁から「出向」した者が牛耳っているのではないですから。

―― 一方父多聞が朝鮮行を決断した理由はよく分かっていません。義理の叔父猪熊信二は東大法も高文も同期であり、商工省(現経産省)に入省しました。口の悪い叔母(信二の妻)は、「高文合格の成績が悪いから日本の中央官庁に入局できなかったのよ。信二は、トップだったから」と言っていました。たしかにそうかも知れません。しかし私は朝鮮という鉄道未開の土地で鉄道システムを建設運営したかったのだと思っています。
余談ですが、猪熊信二は戦時中統制経済の中枢の統制課長をしていました。あまりの激務で肺病を患い、戦後信州のサナトリウムに入りましたが、昭和21年に亡くなりました。岸信介商工大臣の懐刀と言われた「切れ者」でしたので、もしも生きていたら、戦時中の経験を踏まえて随分とお国のお役に立ったものをと悔やまれます。

―― 多聞の朝鮮行決断に戻ります。私の祖父田邉朔郎は、若い頃に担当させていただいた京都の琵琶湖疏水で名を成させていだきましたが、実は「鉄道エンジニア」でした。東大教授の椅子を投げ出して北海道帝国鉄道1000マイル敷設を成し遂げ、第二の帝国大学が京都にできたので請われて移り、鐡道工学講座を停年まで担当させていただきました。余談ですが北海道の鐡道網は国防のためでした。旭川の第七師団が速やかに沿岸に到達できるように設計されました。ロシアの脅威に備えるためです。ですから旭川を中心にして延びています。

 停年退官後は、丹那複線トンネル電気鉄道、関門海底トンネル電気鉄道、新幹線基本計画完成等、現在につながる数多くの社会基盤を残しました。今年の8/28のNHK歴史秘話ヒストリアにおいて大河ドラマの山本八重の兄、山本覚馬と共に明治天皇の東京行幸により実質「都」の座をすてさせられて衰退した明治の京都復興に尽くした二人として紹介されました。

―― 父多聞は、朔郎の影響を受けて、あるいは、朔郎が勧めて朝鮮総督府鉄道局に入局したものと考えています。因みに私の兄、田邉陽一も京大土木科を卒業して公務員上級職試験に合格して旧国鉄本社に入社しました。親子三代鉄道エンジニアです。父多聞は法学部卒だからエンジニアではない? いえいえ、父は法学部卒業前に東大工学部機械工学科も卒業していたのでエンジニアでした。

 ―― 今回は、父の日記から「朝鮮総督府はあたかも一国の政府のような機能をはたしていた」ことを読み取り、それ故に「朝鮮半島を植民地支配していなかった」ことを読みとりました。この読み取り方に御異論のある方はコメントしてくださるようお願い申し上げます。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 10:34 |

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