生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(15)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 釜山に住んでいた父田邉多聞の日記。敗戦直前です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
8月4日
 庁舎疎開のため東莱中学校及び女学校々舎を見分する。
8月8日
 8月6日の広島新型爆弾のことは早くも釜山に噂され、顔がズルズルになるのだというようなことを聞かされる。
8月10日
 払暁空襲。水晶町鉄道官舎付近に爆弾七発落下、相当の死傷者あり。その後終戦に至るまで連日釜山市街は敵機来襲を受け、家屋は吹飛ばされ死傷者多数を出していた。こうして毎晩空襲警報におびやかされて夜は全く睡眠を採れず、連日のことでもはや体力はへとへとに疲れていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 廣島原爆(写真:ウイキペディア)のことが記述されています。確かに「新型爆弾」と言われていました。私はその時小学校三年生、前述した理由によって京都におりましたが、新聞一面に大きく「新型爆弾」と記載されていたことを記憶しております。

 ―― 御存じの通り京都は爆撃を受けておりませんでした。ですから母親は、直ちに疎開の決断をし、8月8日に兄、弟と四人で長野県上伊那郡南箕輪村南殿の母方祖父の実家へ疎開しました。その際、実家に寄宿していた台湾人の林さんという京都大学土木工学科の学生に同行を依頼しました。実家は、家僕/女中夫婦と娘さんが住んでいたのですが、「離れ」に住んでいたので約20部屋ある「母屋」が不用心なので、用心棒として住んでもらっていたものでした。

 ―― 疎開先に着いてみると、すでに東京から母親の二人の妹の家族が来ていました。到着した翌日が長崎原爆ですが、引っ越しの多忙のため、知りませんでした。父親の日記にもそれは言及されていません。長崎にも落とされたという事実を認識したのは、随分後になってからのことでした。随分とひどいことをするものだということは、子供でも分かりました。

 余談ですが、爆心地に「過ちは二度としません」という碑が立っていますが、私は誰が誰に言っている言葉であるかと現在でも訝しく思っております。「よくも非道なことをおやりになりましたね。もう二度としてはだめですよ」と日本人が米国人に言う言葉であると思っております。このことは随分以前から、妻や子供に言っております。

 次回(16)はいよいよ終戦の詔勅です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 09:58 |

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