生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(14)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

以下は父釜山に住んでいた田邉多聞の、敗戦直前における日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
7月18日
 昌慶丸 蔚山に入港。この機にして今や連絡船は敵機と敵潜の目から逃れるため仙崎、蔚山、浦項、馬山など、転々と航路を変え内地との一般交通路をかろうじて維持す。
7月21日
 壱岐丸、浦項に入港
 天山丸、浦項に入港
7月22日
 昌慶丸 蔚山港出港
 対馬丸 浦項に入港
7月23日
 天山丸馬山出港
 以上を最后として南鮮地区と内地との間の連絡船は姿を全く消すこととなり、その後は清津、元山と 内地との間の運航に移った。
7月28日
 本日まで連日釜山敵機来襲主として機雷投下。
7月29日
 亀浦勿禁間703列車敵機の銃撃により乗務員負傷。

8月1日
 敵の上陸作戦に応じ局地的輸送態勢を整えるためとの理由で、交通局の機構大改正あり、平壌局及び順天局の新設に伴い釜山局は埠頭局及び安東事務所を所管することとなる。
 この頃全鮮で敵機の来襲を受けているのは、南鮮、殊に釜山港であって他の地区は平穏であった。そこでこの8月1日の機構改正による移動で釜山から奥地へ転勤を命ぜられたものはむしろ喜んで急いで釜山の地を去って行った傾向があった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は多聞の子田邉康雄によるコメントです。

 ニューメキシコ原爆実験成功が7月16日であり、それを背景とした「ポツダム宣言」が7月26日だったので、そんなこととは「つゆ知らず」過ごしていた父親他が憐れに思えます。

 私は学生時代(昭和32年頃)に、宣言の英語原文を読みました。そして宣言末尾に記載された以下の「脅迫文」を見てショックを受けました。うろ覚えですが、「An alternative of Japan is prompt and utter destruction.」と。「以上の条件以外の日本の選択肢は、迅速、かつ、完全な破壊である」と。これを読んだ時思いました。「原爆実験成功を背景にした極めて強気にでた宣言だ」と。そして原爆によって度胆を抜かれた日本は(ドイツのように条件を付けることなく)、無条件で降伏してしまいした。いや降伏せざるを得ませんでした。宣言が言う通り、他の選択肢は無かったのです。

 歴史に「もし」は無いのですが、もしも沖縄戦の最中に交渉し、ドイツが降伏した5月直後、降伏していたら、戦後の地図は変っていたと思います。陸軍壮士から天皇陛下のポツダム宣言受諾詔勅を守った内閣官房長官「迫水久常」氏他に感謝しています。

 以下(15)につづきます。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 09:53 |

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