生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(10)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 以下は父田邉多聞の日記です。
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1945(昭和20)年
4月5日
壱岐丸下関を出港の際機雷に触れ船体故障。
4月10日
第四埠頭竣工式

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官舎から、釜山港の突堤工事がよく見えました。この日記を見て官舎の下に見えていた突堤が第四埠頭だったことが分かりました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
4月29日
博多港の掃海が、出来たので博多との間に一ヶ月振りで運航回復。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 この時期に母に連れられて兄、弟とともに添付写真(ウィキペディア)の徳寿丸(3600トン)に乗って博多へ引揚げました。京都において祖父朔郎が前年9月に、つづいてこの年3月に相次いで鬼籍の人になったので、実家を守るために引上げたものでした。

京都で転入した小学校では、当時すでに「解放」気運を感じ取っていたらしい一部の人達の「徒党を組んだ暴力」攻撃の的となりました。まったく初対面の多くの同級生の前でひどい肉体的「いじめ」に遭いました。同級生達はどうすることもできず、ただ見ているだけでした。
朝鮮半島では決して味わったことのない集団的「いじめ」であり、これがそのような人がおられるという事実を知った最初でした。その方々は「集団的暴力を不問に附してもらえる特権階級だ」と私なりに納得しました。以後、この特権階級の方々と義務教育終了まで学校で接触することになります。

話戻って、一年半前に関釜連絡船の崑崙丸が米国潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗客乗組員約600名の大半が死亡、ないし行方不明となりました。ですからこの時期の乗船は命がけでした。救命胴衣を着て就寝しました。後年母はいいました。「一晩中一睡もできなかった」と。

なお思いおこせば、敗戦直前に祖父が逝ったのは幸せでした。80歳で病床(脳溢血)に伏すまで土木コンサルタント、鉄道エンジニアとして生涯現役で社会貢献できたからです。幕臣だった祖父は、子供の時に戊辰戦争後に「敗者」としての「苦労」を経験しましたので、阿弥陀仏様が、大東亜戦争後の敗者苦労は「免除」してくださったものと思っております。

別項で述べたように田辺家は熊野神社別当田辺湛増以来、800年来戦乱の中を「生き延びてきた」家族ですから長い間には何度か負けました。ですから「負ける」ことには、慣れているのですが、一生の内に大きな「負け」を二回も経験することは辛いです。私は幸いなことにまだ一回ですが、できればこれで勘弁してほしいと、阿弥陀仏さまにお願いしております。

以下は、父が単身で釜山に残り、奮闘した記録で、(11)につづきます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 07:37 |

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