生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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2013年07月 アーカイブ

2013年07月01日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶(びわ)湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-15

2012年6月19日に東京本願寺(旧名浅草本願寺)ひばりが丘別院の田辺家累代の墓地(1-ハ―5)に柳営会理事審査担当立花友克様、理事副会長荻原昌幸様、理事事務局長鳥居京二様の御三人を御案内しました。東京本願寺総務部長城正弘様が証明に立ち会ってくださいました。その席上で寺に過去帳の開示を求めました。しかし残念なことに過去帳は、関東大震災の火災によって焼失しそうです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月01日 09:37 | | コメント (0)

2013年07月02日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶(びわ)湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-16

関東大震災による浅草地区の大火災によって過去帳は焼失したものの、1663(寛文3)年生まれで1748(寛延1)年に歿した初代『田邉次郎大夫藤原菊忠』、2代『田邉藤原丘忠』、3代『田邉藤原次郎大夫経忠貞斎』、4代『田邉藤原克忠』、5代『田邉藤原新次郎誨輔石庵』、6代『田邉藤原孫次郎勿堂』の墓碑が残っており、かつ、田辺家側に私田邉康雄までの系図が存在するので、それによって証明ができました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月02日 09:35 | | コメント (0)

2013年07月03日

徳川宗家と柳営会-17。祖父田邉(辺)朔郎(琵琶(びわ)湖疏水の建設者)は直参旗本だった。

柳営会の入会資格審査担当者様から「1867(慶応3)年10月の徳川慶喜による大政奉還の際に、徳川将軍家から家禄をもらっていたことを証明してほしい」と言われた時には困惑しました。大政奉還時の当主である7代目の祖父『田邉朔郎』は、1862(文久2)年に父親の6代『田邉藤原孫次郎勿堂』を失っていたのです。2才の幼児が家督を相続していたかどうか、それを証明する書類はありません。江戸開城の際の戦火で屋敷が全焼した故。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月03日 08:47 | | コメント (0)

2013年07月04日

徳川宗家と柳営会-18。祖父田邉(辺)朔郎(京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者)は直参旗本だった。

「大政奉還時の当主が徳川将軍家の録を食んでいたか?」との質問には困りました。そこで『田邉(辺)朔郎博士60年史』に書いてある「祖先の遺徳により幕府から糊口を凌ぐ程度の録をいただいていた」との記載文に加えて1866(慶応2)年に撮影された5歳の田邉朔郎が刀を差して立派な武士の服装で映っている写真を示しました。もしも浪人していたならば、このような写真を撮影してもらえる筈はないとの論理です。これによって御納得をいただきました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月04日 06:12 | | コメント (0)

2013年07月05日

徳川宗家と柳営会-19。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

理事会満場一致で「資格あり」と承認したと柳営会入会審査御担当の立花友克理事より電話連絡を受けたのは、2012年7月21日(土)でした。追っかけて正式な承認通知を受領しました。これを祖父田邉(辺)朔郎の遺影の前に差し出して報告したところ、大変喜んでいる姿が彷彿としました。祖父は、明治・大正・昭和を旧幕臣として生きたので、幕臣子孫の会『葵会』の会員になっていました。残念ながら戦後消滅したのでこれに代わって柳営会に入会できたことを喜んでいると感じました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月05日 09:12 | | コメント (0)

2013年07月06日

徳川宗家と柳営会-20。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

柳営会に入会して最初の活動参加は「懇親会」でした。徳川宗家18代徳川恒孝様をお迎えして約50名の会員が東京神保町の学士会館に集合しました。その席で私は将軍家に「初お目見え」しました。お目見えとは、将軍の尊顔を正式に拝し奉り、かつ、お言葉を掛けていただくことを言います。そして将軍に正式にお言葉を掛けていただくことの身分のことを「お目見え以上」といいます。ほとんどの旗本は一生に一回だけ家督相続の際にお目見えを受けます。それがなんと、学士会館では18代将軍を親しく会話し、その上並んで写真に納まりました。御先祖様が聞いたら腰を抜かすでしょう。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月06日 10:28 | | コメント (0)

2013年07月07日

徳川宗家と柳営会-21。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本。

テレビ「暴れん坊将軍」で「松平健」将軍が大岡越前守にしばしば会っていますが、将軍に会うことのできる旗本等を「お目見え以上」といいます。旗本・御家人とよくいいますが、お目見え以上の身分の者を旗本というそうです。しかしお目見えといっても、常時将軍に会えるものではありません。幕政に携わる者のみが将軍に常時会えるのです。大企業において役員以上が、常時社長に会うことができることと同じです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月07日 08:19 | | コメント (0)

2013年07月08日

徳川宗家と柳営会-22。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本。

田辺家の先祖が将軍にお目見えできた機会は、各祖先ともに一生に一度だけでした。家督相続する際に、その年次の大勢の家督相続該当者と共に平伏したまま将軍の御声を聴くだけだったのです。大企業の新入社員が、入社式において社長を遠くから拝顔し、そして正社員になるような感じです。江戸幕府を今でいう中央官庁に例えるとよく分かります。旗本は、キャリア組だったのです。そして現在と異なる点は、「世襲制」でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月08日 08:36 | | コメント (0)

2013年07月09日

徳川宗家と柳営会-23。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本。

我が田辺家は代々、大番、書院番、富士見宝蔵番などをつとめていました。「大番」は、「関ヶ原合戦」の際に創設された組織だそうです。これは野戦における将軍直属の攻撃部隊でした。後になって将軍近辺を守備する書院番ができました。さらに時代が下って平和な時代となると、江戸城内に勤務する「書院番」の地位が向上しました。そして相対的に、江戸場外で仕事をする「大番」の地位が低くなったそうです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月09日 08:54 | | コメント (0)

2013年07月10日

徳川宗家と柳営会-24。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

富士見宝蔵には、徳川家の家康公の遺品や諸大名からの献上品など御物が収納されていました。富士見宝蔵番は、この御物を管理するお役であり、年初などに将軍が諸大名対して行う謁見などの公式行事の際には御物を持ち出して、謁見の場である「黒書院」や「白書院」に並べることも役目の内に含まれていたと聞きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月10日 08:24 | | コメント (0)

2013年07月11日

徳川宗家と柳営会-25。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

「書院」は将軍の公務の場ですから、書院番は、将軍の御尊顔を垣間見ることが日常茶飯事だったようです。それだけに出世のチャンスが多かったと聞きます。将軍に対して距離的に近い位置に勤務していた役として「小姓組」という番方もありますが、これも出世チャンスがあったそうです。書院番と小姓組を合わせて「両番」と言い、これに就くことにできる家禄を持っている家を「両番筋の家」と言ったそうです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月11日 08:33 | | コメント (0)

2013年07月12日

徳川宗家と柳営会-26。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

将軍公務の場において将軍遠くから垣間見ることがしばしばであっても、それを「お目見え」とは言わないそうです。平社員が、社長の姿を廊下やエレベーターで見ることは、お目見えではないのです。なお、富士見宝蔵は、江戸城内で謁見儀式等に用いる御物を収納する場所であり、富士見宝蔵番は、御物を儀式の都度取り出して会場へ陳列する役目をも持っていたと聞きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月12日 08:47 | | コメント (0)

2013年07月13日

徳川宗家と柳営会-27。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

関ヶ原合戦で勝利を得た後に大阪冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川将軍家は、もちろん、「軍事政権」でした。しかし約100年も戦争の無い時代を経て「武」よりも「文」が重んぜられるようになりました。即ち、武士の官僚化でした。武芸よりは「読み」「書き」「そろばん」の力が出世の道となりました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月13日 09:59 | | コメント (0)

2013年07月14日

徳川宗家と柳営会-28。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本。

徳川将軍の親衛隊、即ち、「旗本」は、編成された順に大番、書院番、小姓組番、新番、小十人組と五番方あります。昼夜交代一日24時江戸城内外を警護していました。大番は、関ヶ原の戦いの際に編成された将軍直属の攻撃部隊です。元来が攻撃目的ですから、伝統的に屋外勤務でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月14日 08:08 | | コメント (0)

2013年07月15日

徳川宗家と柳営会-29。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

大番は攻撃を主目的とした(屋外)野戦部隊であったので、この伝統の上に立って江戸城においても屋外勤務でした。今大手門を入って二の丸庭園に上がる手前に大番同心小屋が残っています。入交代番ですからこれらを五番方といったそうです。いまでも昼夜連続で操業する工場等においては操業担当労働者のことを番方といいます。また千代田区に番町という地名があります。「番町皿屋敷」の番町です。現在は一番町から六番町まであります。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月15日 11:21 | | コメント (0)

2013年07月17日

柳営会とは(1)

「徳川宗家と柳営会」を29回私のホームページに連載しました。ここで柳営会とはどんな会であるかを説明しましょう。説明のために、柳営会ホームページをそのまま引用します。以下の通りです。

日光東照宮例大祭には、毎年、第18代德川御宗家・恒孝様が祭主としてご参拝になっておられます。ある時、参列者の中から、旧幕臣の子孫のお供がいないのは寂しいという声があり、昭和55(1980)年5月16日、日光東照宮研修会館に有志が集い、会結成を話し合った。
そして、例大祭当日の17日早朝、輪王寺本坊玄関前で有志が始めて御宗家ご夫妻にご挨拶申し上げ、前夜決定した会の名称「柳営会」のご承認をいただき、会が発足した。

以下「柳営会とは(2)」へ続きます。これをお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月17日 10:37 | | コメント (0)

2013年07月18日

柳営会とは(2)

「柳営会とは」に関して、柳営会ホームページからの引用がつづきます。

「柳営」とは、名将軍の陣営を呼称する中国の故事に由来し、江戸時代には「幕府及び将軍」を意味する固有名詞となったことから、当会にふさわしい名称として採用された。

以下「柳営会とは(3)」へ続きます。これをお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月18日 09:37 | | コメント (0)

2013年07月19日

柳営会とは(3)

「柳営会とは」に関して、柳営会ホームページからの引用がつづきます。

会の活動方針江戸幕府で活躍した先祖の業績を誇りに思う子孫が、德川御宗家を中心に結集し、正しい目で江戸時代を見直し、先祖を偲び、その精神を引き継ぎたいという目的で集まった、要するに精神的つながりを大切にする素朴な会であるので、会員は旧幕時における家格には関係なく平等の立場におかれている。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月19日 11:55 | | コメント (0)

2013年07月21日

柳営会とは(5)

「柳営会とは」に関して、柳営会ホームページから柳営会の説明文をそのまま引用して前回までの柳営会(1)から柳営会(4)までに紹介しました。

 お分かりいただけたと思いますが、柳営会とは、一言で表現すると幕臣子孫の会です。幕臣とは、徳川「幕府」における徳川将軍家の「臣下」を意味します。しかし幕臣であればどんな幕臣でもよいかというと、そうではありません。ここに「譜代」という制限が加えられます。譜代とは、「家康公以来の代々」を意味します。

これをお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月21日 11:12 | | コメント (0)

2013年07月22日

柳営会とは(4)

「柳営会とは」に関して、柳営会ホームページからの引用がつづきます。

当会では、次のような事項につき話し合いにより運営がなされている。
1.徳川将軍家および各家の先祖の顕彰とその業績の研究、
2.江戸時代の正しい認識と系譜・資料・記録などの収集保存、
3.德川御宗家を中心とした会員相互の親睦および研修旅行、
4.会の記録と広報(月報「柳営会たより」、会誌「柳営」の発行)、
5.その他会設立の精神に沿う活動 、年間行事および具体的活動、
6.東照宮へ德川御宗家のお供、会の最重要行事として、当会発足の契機となった日光東照宮、例大祭の5月17日には御宗家のお供をし、昇殿参拝をしている。また、東照公の御命日4月17日には、久能山東照宮にも同様なお供をしている。

以上で「柳営会ホームページからの引用を終わります。これをお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月22日 10:09 | | コメント (0)

2013年07月23日

柳営会とは(6)

柳営会に関連して徳川将軍家の仕組みを説明しています。

徳川幕府を「中央官庁」とすると当時の中央官庁への就職は、世襲制でした。つまり祖先代々家禄をもらっていた人でなければ就職できなかったのです。もちろん例外はありました。例示すれば、大岡忠相です。紀州藩士が旗本の最高町奉行となり、さらに大名になりました。これは吉宗の「引き」だったことは御承知のとおりです。

「柳営会とは」をお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月23日 07:39 | | コメント (0)

2013年07月24日

柳営会とは(7)

柳営会に関連して徳川将軍家の仕組みを説明しています。

 徳川家康は、自分のために命を投げた部下に対しては、「その子孫を末代まで面倒を見る」という原則を確立していました。これが家康家臣団の強力な結束の源でした。この原則の故に子孫は代々家禄が受給されていました。そして代々家禄を受けている家の出身のものだけが幕府という官僚組織の中で出世できました。もちろん例外があったことは、前回述べました。

この「柳営会とは」をお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月24日 08:23 | | コメント (0)

2013年07月27日

柳営会とは(8)

柳営会に関連して徳川将軍家の仕組みを説明しています。

前回「家康のために命を投げ出した武士の子孫を末代までも面倒を見る」という家康の方針を紹介しました。よって面倒を見てもらっている子孫が幕府の中枢を固めるという結果になりました。ですから子孫は、幕府中枢を守るための武芸に励みました。しかし平和な時代がくると、武よりも文が幕府中枢を守るための必要な力量となりました。言い換えると、出世の道は「武芸」から「学芸」に移行したのです。

この「柳営会とは」をお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月27日 09:51 | | コメント (0)

2013年07月29日

柳営会とは(9)・・・幕臣子孫の会

柳営会とは、これを簡単に言うと「幕臣子孫の会」ということができます。そして幕臣に関連して徳川将軍家の仕組みを説明しています。

前回、出世の道は「武芸」から「学芸」に移行したと書きました。この動きに呼応して江戸湯島の昌平坂に学問所ができました。そこで「学問吟味」が行われました。これに合格することによって従来出世の道が無かった旗本の次男や、御家人にも道が開けました。

この「柳営会とは」をお読みになって柳営会会員資格があると思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄(柳営会会員)に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月29日 07:41 | | コメント (0)

2013年07月30日

柳営会とは(10)・・・幕臣子孫の会

「柳営会」を簡単に言うと「幕臣子孫の会」です。「柳営会とは(10)」からつづきます。

 我が田邉家は、代々大番与力や書院番与力でした。譜代旗本ではありますが、前述した通り基本給(家禄)は現物の玄米年80石の給与生活者ですから、決して、「家格が高い家」とは言えません。甲斐武田家の遺臣として徳川家に仕えた身分でしたから、家格が高くないことは当然でした。
  
この「柳営会とは」の項をお読みになって、「柳営会会員資格がある」と思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

「柳営会とは(11)」へつづきます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月30日 12:15 | | コメント (0)

★生涯現役エンジニアになろう(通算17回目)、主催:新技術開発センター、開催日:2013年9月11日(水)、場所:千代田区一番町新技術開発センター研修室、講師:田邉康雄

以下は、主催者「新技術開発センター」による≪受講のすゝめ≫です。

「人生100歳時代」です。人間、これをどのように生きるか。この大きな課題に向かって「技術士」や「中小企業診断士」の資格取得支援をする新技術開発センターは、「技術者」の人生計画も支援します。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月30日 13:46 | | コメント (0)

2013年07月31日

柳営会とは(11)・・・幕臣子孫の会

「柳営会」を簡単に言うと「幕臣子孫の会」です。「柳営会とは(10)」からつづきます。

家格が高くない田邉家、即ち基本給がさほど多くはない田邉家はハングリーであり、幕府公認の副業である学問に励みました。これは将軍吉宗の治世の下で制定された「足し高」制度による基本給への加算給を当てにした副業でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月31日 16:33 | | コメント (0)

★生涯現役エンジニアになろう(通算18回目)、主催:新技術開発センター、開催日:2013年9月13日(金)、場所:大阪市天王寺区東高津町7-11、大阪市教育会館、講師:田邉康雄

以下は、主催者「新技術開発センター」による≪受講のすゝめ≫です。

「人生100歳時代」です。人間、これをどのように生きるか。この大きな課題に向かって「技術士」や「中小企業診断士」の資格取得支援をする新技術開発センターは、「技術者」の人生計画も支援します。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年07月31日 16:59 | | コメント (0)

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