生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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2013年06月 アーカイブ

2013年06月18日

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の田邉朔郎―1 

毎年5月18日は日光東照宮例大祭です。日光には、東照権現様(家康公)が祭られています。江戸時代には、将軍が16回参拝されたそうです。その際には、家康公以来の譜代直参旗本が御供をして身辺警護に当たりました。この故事に因んで、現在でも譜代直参旗本子孫の会である「柳営会」の会員が御供します。私田邉康雄の祖父、琵琶湖疏水の建設者田邉朔郎は譜代直参旗本だったので柳営会に入会を許されて御供しました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月18日 18:39 | | コメント (0)

2013年06月19日

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-2 

柳営会は、徳川将軍家譜代の大名・旗本・御家人の子孫からなる会です。インターネットでたまたまサイト『会員募集・柳営会』を見つけて去る2012(平成24)年5月10日に資格審査申請書を提出しました。その結果、2013年7月24日に正式に会員として登録されました。会員募集の蘭に「審査は厳しい」と記載されていましたが、確かに厳しい審査でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月19日 07:17 | | コメント (0)

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-3 

柳営会の審査担当者、事務局長、副会長の三名による入会資格審査の面接を受けました。場所は、田辺家の菩提寺東京本願寺(旧名浅草本願寺)でした。提出してあった先祖書の真否を先祖の墓碑と比較して確認を受けました。また、私から9代遡った、江戸時代の祖先の墓を確認してもらいました。嬉しいことには、徳川幕府時代の家禄、屋敷(地図)、並びに幕府がもっていた曽祖父の身上書の写しを受領しました。これらの書類により、祖父田邉朔郎が、直参譜代旗本であったことを柳営会側において証明して下さいました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月19日 10:58 | | コメント (0)

★無料ISO31000研究会「関ヶ原合戦に於ける家康のリスク管理」、リスクマネジメント協会田邉康雄、2013年6月29日(土)、女性就業支援セ(JR田町駅2分)

歴史と国際規格の両方を勉強できるRM協会認定研究会で、田邉康雄がリードします。御希望の方は、弊社へ御連絡を。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月19日 15:30 | | コメント (0)

2013年06月20日

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-4 

「譜代」とは、「家康以来」を意味します。田辺家の場合、元は甲斐武田家の家臣であり、武田家滅亡後、徳川家康に拾われました。最初は家康の重臣鳥居元忠の配下、即ち「陪臣」でしたが、将軍綱吉の時代に大番士として番入りし、直参旗本になりました。因みに、信長や秀吉は攻め滅ぼした敵を皆殺しにしましたが、家康はこれを家臣として抱え、家臣団を強化しました。現に、今川遺臣、北条遺臣、織田遺臣の子孫が柳営会には数多く入会しておられます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月20日 07:07 | | コメント (0)

2013年06月21日

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-5

徳川将軍家は、今川遺臣、北条遺臣、織田遺臣を多く採用し、三河譜代の家臣団を強化したことが、260年の長期間平和時代の基礎であったと言われます。確かに信長や、秀吉には結束した家臣団はいなかったようです。信長などは、有力家臣、明智光秀に殺害されました。秀吉は、長浜以来の子飼いの家臣(加藤清正、福島正則など)だけが頼りだったようです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月21日 05:43 | | コメント (0)

2013年06月22日

徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-6

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月22日 14:04 | | コメント (0)

2013年06月23日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-7 

我が田辺家の祖紀伊田辺の田辺湛増は源平合戦の際、義経に味方して壇ノ浦の勝利を導いた話はよく知られています。その手柄によって頼朝から関東に大きな所領を与えられたのですが、子の湛快は「承久の変」において後鳥羽上皇側に加勢して破れ、丹後田辺に逃れたものでした。その後、鎌倉、南北朝、室町、戦国、徳川、明治大正、昭和平成時代を我が田辺家は、今日まで800余年間をなんとか生き延びてきました。私は湛増から29代目です。なお「柳営会」とは、徳川将軍家譜代の大名・旗本・御家人子孫の会です。そして柳営とは「幕閣」を意味します。もう30年も以前に、徳川宗家8代当主徳川恒孝様のお許しを得て冠名させていただいたそうです。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月23日 07:31 | | コメント (0)

2013年06月24日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-8 

柳営会は、徳川将軍家譜代の大名・旗本・御家人の子孫からなる会です。インターネットでたまたまサイト『会員募集・柳営会』を見つけて去る2012(平成24)年5月10日に資格審査申請書を提出しました。その結果、2013年7月24日に正式に会員として登録されました。
私は源平時代の熊野神社別当藤原湛増(田辺に居住していたので田邉湛増と呼ばれた)から第29代目の子孫ですが、今回22代目の田邉丘忠から第27代目朔郎までが直参旗本であったことが柳営会によって確認されました。私から遡って9代目の第21代目田辺菊忠から26代目曽祖父田辺孫次郎まで6世代の墓が東京本願寺(俗称浅草東本願寺)に現存しており、この過去帳等が調査の対象でした。会の応募基準には、「厳しい審査」を謳っていますが、まことに厳しい審査でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月24日 09:17 | | コメント (0)

2013年06月26日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-9

柳営会会員が徳川宗家の日光東照宮御参拝の御供をした集合写真を昨日載せましたがお楽しみ頂けたでしょうか。「柳営会」をインターネットで検索してください。柳営会のホームページが露出します。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月26日 08:36 | | コメント (0)

2013年06月27日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-10

柳営会入会審査申込に当たって提出を求められる証拠資料は、徳川幕府に仕えた最初の当主から申請本人までの繋がりと資格を証明できる、徳川幕府が発行した公的資料の関係部分、家に伝わる文書、戸籍等次のような書類等の写し。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月27日 09:28 | | コメント (0)

2013年06月28日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶(びわ)湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-12 

柳営会入会申請に当たって提出した申請書に添付した資料は、①家系図(拙著「琵琶(びわ)湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」p-131)、②沼津市明治資料館通信記載の田辺家系図、③田邉(辺)朔郎博士60年史の「博士の家系及び一族」、④菩提寺東京本願寺にある9代前の祖先以来の墓地写真、⑤人名事典の写し3代前(田邉(辺)朔郎、朔郎の叔父田邉(辺)太一蓮舟、5代前田邉(辺)石庵

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月28日 10:54 | | コメント (0)

2013年06月29日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶(びわ)湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-13(11は欠番) 

墓碑が残っている初代『田邉藤原菊忠』⇒2代『田邉藤原丘忠』⇒3代『田邉藤原次郎大夫経忠貞斎』⇒4代『田邉藤原克忠』⇒5代『田邉藤原新次郎誨輔石庵』⇒6代『田邉藤原孫次郎勿堂』⇒7代『田邉藤原朔郎』⇒8代『田邊多聞』⇒9代『田邊康雄』を申請しました。そして、初代菊忠から7代朔郎までの7代に亘って徳川将軍家の家臣であると申請しました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月29日 09:47 | | コメント (0)

2013年06月30日

徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶(びわ)湖疏水の祖父田邉(辺)朔郎-14 

2012(平成24)年5月10日、柳営会に入会7申請書類を提出したところ、「御祖先との繋がりが一部確認できないところがあるので、それが確認できれば、柳営会の会員資格がある」と、お知らせを受けました。そこで前述の菩提寺を菩提寺に御案内して寺から説明を聞くことにしました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年06月30日 11:01 | | コメント (0)

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