生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(1-1)

私田邉康雄は、NPO法人米欧亜回覧の会の会員です。この度、誘われる機会があったので同会ウエブサイトにこのタイトルで投稿することにしました。月に一度のペースで投稿する予定です。その内容を弊社ホームページに再録します。すでに2011年7月25日に第1回を投稿しました。それを分割してこのブログに掲載します。以下の通りです。

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幕末の「三舟」といえば、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三人です。同四舟といえばこれに田邉蓮舟、または木村芥舟が加わるそうです(Wikipedia)。いっそのこと、二人を加えて「五舟」としたらどうでしょう。以下、この呼称を使います。

―― 幕末の五舟
五人は、徳川幕府の立場で、「自分のために」ではなくて「幕府のために」賭命。さらに「幕府のために」だけではなくて「国家のために」命を賭けました。
新選組の近藤勇や土方歳三は有名です。しかし筆者は彼らを、「髙く」は評価しません。彼らは幕府のため「だけ」に賭命。それどころか自分のため「だけ」に命を賭けました。

徳川幕府の「兵農分離」政策の下で、「農」の身分である郷士から「兵」の身分である武士になることは至難の道でした。近藤達は、郷士から武士になりたいため、この「至難の道」に命を賭けました。現に戊辰戦争に突入した際に近藤勇は旗本に取り立てられ「念願かなった」と喜び、土方歳三も函館戦争において自分の美学だけに命を賭けました。

―― 蓮舟田邉太一
田邉蓮舟とは岩倉使節団の「一等書記官」、田邉太一のことです。使節団の書記団をまとめる「書記官長」でした。
このことは、旧幕府外国奉行所組頭という地位からして当然です。新政府は1869(明治2)年に外務省を設置しました。旧幕府の外交事務をそっくり引きついだので旧幕府外務官僚の手を借りなければなりません。
太一は新政府に迎え入れられた旧幕府外務官僚の中では、旧幕府時代のポストが一番上で、かつ、最年長でした。だから岩倉使節団書記団の「長」に据えられたことは当然です。
太一は、旧幕臣としては伯爵勝海舟、子爵榎本武揚、男爵大鳥圭介、そして義兄の中央気象台(現在の気象庁)長、荒井郁之助等と共に薩長土肥の明治政府に許されて、かつ、請われて協力した人物です。

次のブログにつづきます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2011年08月09日 13:08 |

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