コンプライアンスの話を展開する前にコンプライアンス定義を明確にしつつあります。コンプライアンスは世間でとられている遵法に限定されず、もっと広い意味にとると前欄において説明し始めています。
余談をつづけます。
―― 霞会館の会員
主たる会員は「公侯伯子男」の、当時の「姓」を現在も名乗る家の当主です。私の岳父大迫尚一が霞会館の専務理事をしていたといいました。
尚一はもちろん会員でした。そして現在の会員は、尚一の男子、大迫尚照(家内、田邉智子の弟)です。
―― 大迫尚一の祖父大迫尚敏は、鎌倉時代に源頼朝によって薩摩に封を得た島津忠久に従って薩摩入りをした梶原景高(景時次男)の子孫です。代々薩摩藩において重く用いられ、薩英戦争を初陣として戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、そして日露戦争を戦い抜いた生粋の軍人です。
―― 北海道旭川にあった第七師団の師団長として日露戦争に参戦し、乃木希典の指揮下で、旅順港203高地を攻め落しました。
―― それらの武功により大迫尚敏は子爵を賜りました。因みに同様に参戦した弟の大迫尚道は男爵を賜りました。爵位は世襲制ですから、私の岳父大迫尚一は子爵を襲爵しました。
―― 大迫尚敏は、慎ましやかな人間であり、多くの軍人が政界に打ってでるなど、さらなる活躍の場を求めたのに対して、明治天皇が崩御あそばされた後、殉死した乃木大将の遺言により、学習院の院長を拝命しました。丁度その時、後の昭和天皇が初等科に御在学中であらせられました。







