コンプライアンスの話を展開する前にコンプライアンス定義を明確にしつつあります。コンプライアンスは世間でとられている遵法に限定されず、もっと広い意味にとると前欄において説明し始めています。
―― 先週の初め(2010年3月28日、日曜日)の産経新聞一面左上隅に刮目(目を擦って見るの意)すべき記事を発見しました。立命館大学教授、加地伸行先生の「古典個展」でした。
―― 部分的引用をすると、都合のよい部分だけを引用することにより、御著者の真意を曲げるおそれがあります。そこで出展を明らかにしたので確かに部分引用ではありますが、広範囲で引用をさせていただきます。
―― 加地伸行先生の書き出し
「2月末から3月初めの新聞報道を読むのはつらかった。児童虐待の記事である。立て続けにそういうニュースが出た。昨秋から数えても、私の手元に7人の幼少児の名前が記録されている1人は2ケ月の乳児だ。あまりの悲惨、あまりの哀れさ―この子たちがどれほど辛かったことであろうかと思うと、胸の張り裂ける思い出あった」と
―― 加地伸行先生の「古典個展」(2010年3月28日、産経新聞)の紹介を続けます。
先生曰く「これら事件を特殊個別的なものとすることは、私にはできない。戦後教育、わけても義務教育において、東北アジアにおける死生観の<私達の生命は、先祖以来の生命の連続として存在する>という儒教的伝統をほとんど教えてこなかったことに根本的原因があると私は思っている」と。
―― このように言われて事例の紹介があり、(間を少し飛ばして)先生の言われることを続けます。
「この間、戦後日本の教育の柱は、個人主義の涵養欧であったが、自律的な個人主義者を生み出すことはなかった」と論評され、「欧米人が個人主義的教育を可能にした背景には、個人主義の自律からはずれる人間の抑止力として唯一絶対神(例えばキリスト教、田邉康雄注)をおいたことがある」との論評を展開されました。







