「日本カーリット(横浜) – 爆発 –安全技術の伝承」
このブログを、「森田化学 – 爆発 – 安全技術の伝承」のブログに平行して書いています。
―― 父田邉多聞の敗戦後(不成功)例を紹介しました。繰り返します。何のために紹介したのでしょうか。
―― これからが本題です。
父親多聞は京都市交通局長時代に、前述した昭和22(1947)年初頭のゼネラルストライキに遭遇しました。
それまでは命令を下しさえすれば部下が従うという官制の中で育った父多聞です。部下がストライキ(父多聞に言わせると反乱)するなど、毛頭視野の中にありませんでした。
―― 父は職を自ら辞しました。
ストライキに対してどう対処してよいか分からなかったのでしょうか、あるいは、敗戦で職を失った虚脱感や失望感に苛(さいな)まれていたかもしれません。
なぜならば、戦前の父多聞は前述の通り、高等管二等の官吏区分にあり、所属していた内務省でいうと京都府知事に相当する官吏区分に相当していましたから、内地引き上げ後に拝命した京都市交通局長は大きな降格でした。それで虚脱感や失望感に苛まれていたのかも知れません。
―― その後の父多聞は失業の中で苦しい生活を強いられました。ですから私達子供も苦しい生活を強いられました。「天国から地獄へ転落」という思いでした。
―― 私は、父のために惜しみます。
もしもゼネラルストライキに正面から立ち向かい、何らかの解決の糸口を掴みだしていたら、それ以降の父の人生は再び朝鮮総督府時代と同様、再び成功の方向に向かったであろうと。
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