日経CNBC開局10周年記念番組【内山理名が往く歴史ROMAN 産業遺産 京都近代産業の幕開け(後編)琵琶湖疏水】の話をつづけます。取材は、設計建設者【田辺朔郎】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%BE%BA%E6%9C%94%E9%83%8Eの子孫ということで受けたものでした。
前欄で予告したとおり、【田辺朔郎】が 生涯現役エンジニアhttp://www.amazon.co.jp/gp/reader/4901689622/ref=sib_dp_pt#reader-link
として【土木エンジニア】だけではなかったという話をします。
―― まず【田辺朔郎】が【電気エンジニア】であったという話をします。
北垣国道が作った琵琶湖疏水基本計画においては、琵琶湖と京都市の高度差を利用して水車を配置する予定でした。
【哲学の道】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%81%93として親しまれている【永観堂】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E8%A6%B3%E5%A0%82 から【銀閣寺】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E7%85%A7%E5%AF%BA にいたる【琵琶湖疏水】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4 支流から【鹿ケ谷】の落差を利用して数多くの水車を配置する予定でした。ここへ西陣から織物工場を誘致する計画だったのです。
もしもこの基本計画通りに建設されていたら、私田邉康雄が卒業した京都市立【 第三錦林小学校】
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/dai3kinrin-s/のあたりは水車小屋に囲まれた一大工業地帯になっていたでしょう。







