日経CNBC開局10周年記念番組【内山理名が往く歴史ROMAN 産業遺産 京都近代産業の幕開け(後編)琵琶湖疏水】の話をつづけます。取材は、設計建設者【田辺朔郎】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%BE%BA%E6%9C%94%E9%83%8Eの子孫ということで受けました。
【生涯現役エンジニア】http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4901689622/ref=sib_dp_pt#reader-linkだった田邉(田辺)朔郎が【防災エンジニア】であった話を紹介しています。
琵琶湖疏水工事中に十数名の死者がでました。このことに強く胸を痛めた田邉(田辺)朔郎は工事完成後、自費を投じて慰霊碑を建立しました。現在も京都蹴上のインクラインが上りきった場所に立っています。工事の完成を祈って人柱を立てる風習があった江戸時代から、わずか二十数年しか経ていない時代としては画期的なことでした。
―― また後に北海道庁の全道鉄道敷設プロジェクトをプロジェクトリーダー(正しくは北海道庁臨時鉄道建設部長)として担当した際、石狩川の台風による増水のために部下が死亡したことを深く悼んで旭川市の本願寺に慰霊碑を、これも自費を投じて建てました。
以後の国鉄の線路敷設工事に当たり、被災者を慰霊する習慣の始まりであったと言われています。慰霊とはすなわち安全祈願であり、工事の安全を確保する努力(防災)の始まりだったのです。
この例によって田邉(田辺)朔郎が、【防災エンジニア】であったことを御理解いただけるでしょう。







