日経CNBC開局10周年記念番組【内山理名が往く歴史ROMAN 産業遺産 京都近代産業の幕開け(後編)琵琶湖疏水】の話をつづけます。取材は、設計建設者【田辺朔郎】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%BE%BA%E6%9C%94%E9%83%8Eの子孫ということで受けました。
【生涯現役エンジニア】http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4901689622/ref=sib_dp_pt#reader-linkだった田邉(田辺)朔郎が【水道エンジニア】の話をしました。つぎは【防災エンジニア】であった話を紹介します。
田邉(田辺)朔郎は琵琶湖疏水の完成直後の1890(明治23)年11月3日、29歳にして帝国大学教授となりました。その翌年の1891(明治24)年10月28日、旅行の途中で「濃尾大震災」に遭遇しました。
因みにその2ヶ月前の1891(明治24)年8月24日に29歳の若さで工学博士の学位をさずけられました。「末は博士か大臣か」と言われた時代の博士を29歳で授けられたものです。
―― 話もどって地震災害防止の必要性を感じた田邉(田辺)朔郎は、勅撰貴族院議員帝国大学理科大学学長菊池大麓に働きかけて「震災予防調査会」を設立し、自らも委員となりました。この地震予防調査会は、現在の東京大学地震研究所にその系譜がつながっています。
一方、後年京都帝国大学に移った後に地震防災に力を入れました。これは現在の京都大学の防災研究所にその系譜がつながります。
―― 現在、東大が「地震発生予知による災害防止」機能をもち、京大が「発生地震対策による災害防止」機能を受け持っています。すなわち、旧帝国大学の東西の雄が機能を分担しているのです。
現在わが国は、地震災害防止分野で世界的に高い評価を得ていますが、田邉(田辺)朔郎は、この分野の創設期に深く関与した人物です。
以上の例によって田邉(田辺)朔郎が、【防災エンジニア】であったことを御理解いただけるでしょう。







