ゴーン社長の「コミットメント」は精神主義ではなかったことが後日判明しました。
―― 3年後
見事に経常利益がプラスになったことを新聞情報等で知りました。これで「コミットメント」なる言葉の意味の大きさを知りました。
譬えていうと、江戸時代の武士の「武士に二言はない。違えたら腹をきる」のひと言です。江戸時代にあっては、本当に腹を切るのです。そのことは幕臣(将軍直属の武士)の孫(祖父田邉朔郎が幕臣)である私にはよく分かります。
江戸時代の武士は、「腹を切る」と言っておいて、実際は腹を切らなかったとすると、もう武士社会では生きていけないのです。江戸時代の武士社会は、そういうものでした。
―― ここで思いだした話をします。
「生きて虜囚の辱めを受けず」
この言葉が盛り込まれた戦陣訓を制定した当事者は、東条英機陸軍大臣(大将)です。大東亜戦争開戦の直前に制定されました。
この言葉があるために、ニューギニア、ビルマ、レイテ島などで20~30万人も餓死し、アッツ島を嚆矢(かぶらや)として、その他の嶋で「玉砕」が相次ぎました。
今から思うと米軍の捕虜となる道をなぜ選べなかったかと訝しく思います。そうすれば国際的な合意によって保護され、確実に「生きて妻子のところに帰る」ことができました。
―― その東条英機が、敗戦後米軍の捕虜となって絞首刑を受けました。東条英機の頭の中で「生きて虜囚の辱めを受けず」の一節はどうなっていたのでしょうか?
畏れ多くも昭和天皇は「大東亜戦争終結ノ詔書:・・・茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。・・・」を玉音放送されました。
その際、敗戦時の陸軍大臣(大将)は責務を完遂して見事な割腹自殺(切腹)を果たしました(半藤一利、帝国陸軍に準じた最後の武人、特集「堂々たる人生」プレジデント第19巻6号(昭和56年))。
また神風特特別攻撃隊を創始した大西海軍中将は、終戦の翌日割腹自殺を果たしました(ウイキペディア)。
ゴーン社長の「コミットメント」なる言葉は、武士の子孫である私にとっては阿南陸軍大将や大西陸軍中将の見事な最後を彷彿(ほうふつ=よく似ているさま【広辞苑】)とさせるものがあります。
―― こんな歴史的考察をも加えながら、弊社のISO内部監査(とくにISO14001内部監査)員養成のための社内研修においては審査員に対する主張(反論)のやり方を御一緒に考えていきます。







