工部大学校の卒業生の多くは、エンジニアとして生涯現役でした。祖父田邉朔郎も同様です。
―― 田邉朔郎は81歳まで現役でした。最後の仕事は関門海底トンネル調査でした。
「できる」
との田邉朔郎の太鼓判によって着工が決まったものです。本件は、拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなしhttp://www.bk1.jp/product/00917567」の50ページ「最後の仕事、関門トンネル」の項で紹介しました。
―― 田邉朔郎は1911(明治44)年に調査の上、現在の関門鉄道トンネルのルートを選定しました。その後、鉄道院の調査を受けて調査を続行し、1936(昭和11)年に着工にこぎつけたものでした。この時田邉朔郎は74歳でした。
―― 1939(昭和14)年7月76才の時、弾丸列車調査に着手しました。そして翌年、鉄道省(現在のJR)において「広軌幹線鉄道」について協議を開始しました。
この協議は戦争の激化とともに中止されましたが、「弾丸列車計画」として歴史に残り、現在のJR新幹線に繋がっています。
以上の史実に関しては「近代土木技術の黎明期 ―― 日本土木史研究委員会シンポジウム記録集(土木学会)を参照しました。
私も祖父田邉朔郎のように「生涯現役エンジニアhttp://www.amazon.co.jp/gp/reader/4901689622/ref=sib_dp_pt#reader-link」を達成したいと思て現在努力中です。
本欄で「工部大学校(東大工学部)」の項を完了します。







