「3Kに挑んだ武士の子」の項で紹介したように、田邉朔郎も6年生の1年間測量実習にでました。エンジニアが自分自ら手を下して実地測量するなどは、ヨーロッパでは考えられないことでした。
「びわ湖から京都へ水を引く運河の調査にやりたいがどうか?」
と、工部大学校長の大鳥圭介は中央気象台長の荒井郁之助に書面で聞きました。かつての函館五稜郭戦争の幕府陸軍奉行が、幕府海軍奉行に聞いたものでした。
ここで荒井が「ノー」という筈はありません。田邉朔郎は京都へ出張して測量に励みました。その成果を「びわ湖疏水計画」として卒業論文に仕上げました。
―― 北垣国道
京都では、私の曽祖父北垣国道(後の官位正二位男爵、枢密院顧問官)が京都府知事として琵琶湖から京都へ水を引く計画を立てていました。
この計画は明治天皇が東京へお住まいを移されたことによって大きく衰退した京都を立て直す目的でした。
北垣国道は、いわゆる「お雇い外国人」の手に寄らず日本人の手で工事をやりたい/strong> と考えて工部大学校に大鳥圭介校長を訪問しました。
―― 祖父朔郎と曽祖父国道の出会い
北垣国道の訪問を受けた大鳥圭介は田邉朔郎を紹介しました。これにより田邉朔郎の卒業論文が琵琶湖疏水として現実のものとなりました。この話は、拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族の話」http://www.bk1.jp/review/0000445315に紹介しました。







