生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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5世代エンジニアの視点(3)――父親、田邉多聞

 引き続いてわが国のエンジニア教育史を語る基盤である「5世代にわたるエンジニア一家の視点」を紹介しています。

 ―― 機械エンジニア
 私の父親田邉多聞は、1918(大正7)年9月東京帝国大学工科大学機械工学科に入学した。多聞によると、「第三高等学校入学試験の競争率7倍よりも、東大機械の2倍の方がはるかに難関だった」そうです。

 ―― 多聞はここでガソリンエンジンを勉強しました。これは画期的でした。なぜならば、当時はまだ蒸気エンジンが技術の主流だったのですから。

 しかし多聞が就職してみるとガソリンエンジンなどはまだまだ先の時代であり、しかも平和が継続しているためにエンジニアの評価は低下して世の中は「東大法科万能主義」の時代でした。

 ―― 田邉多聞は、そこで勉強をやり直して東大法学部政治学科を受験しました。理系から文系への転向ですから、受験に当たっては何の特典もありません。これを見事に乗り切って合格し(1921年)、卒業後は高等文官試験の行政科に合格しました。当時、高文には法律科(現在の司法試験に相当)があったそうですが行政科は法律科よりも遥かに難関だったそうです。

 田邉多聞は高文行政科合格の資格をもって内務省へ入省し、朝鮮総督府へ配属されました。そこでは鉄道本局へ配属され、朝鮮鉄道の発展に尽くしました。

 ―― 朝鮮鉄道は、軌道幅が1435mmの標準軌道です。南満州鉄道(満鉄)と相互乗り入れをする素晴らしい鉄道でした。これを田邉多聞はヨーロッパの鉄道を複数回長期視察に出て調査し、その調査結果を基にして素晴らしい鉄道網を設計しました。工学士兼法学士でなければできない仕事でした。

 ―― ちなみに釜山から満鉄の奉天経由で大連またはハルピンに通じる特急列車者の名称はそれぞれ「のぞみ」と「ひかり」でした。多聞は、新幹線にこの名称がつけられたことを大変喜んでいました。

 ―― エンジニア田邉多聞に関しては、拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」(国会図書館蔵)http://www.bk1.jp/review/0000445315において一族とともに紹介しました。

 また拙著:「生涯現役エンジニア」http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E6%B6%AF%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E2%80%95%E5%AE%9F%E4%BE%8B%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E6%80%A7%E3%81%A8%E6%8F%90%E6%A1%88-%E7%94%B0%E9%82%89-%E5%BA%B7%E9%9B%84/dp/4901689622/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208695362&sr=1-1の53ページ「法科万能主義」において紹介しました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年04月21日 08:11 |

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