前回からわが国のエンジニア教育史を語る基盤である「5世代にわたるエンジニア一家の視点」を紹介しています。
―― 祖父田邉朔郎は、1883 (明治16)年に工部大学校を卒業しました。2年生修了時に「合点特別一等賞」を授けられました。4年生修了後、京都に旅行して琵琶湖疏水路を踏査し実測の準備に入りました。そして卒業論文に「琵琶湖疏水計画」を書きました。
前回からわが国のエンジニア教育史を語る基盤である「5世代にわたるエンジニア一家の視点」を紹介しています。
―― 祖父田邉朔郎は、1883 (明治16)年に工部大学校を卒業しました。2年生修了時に「合点特別一等賞」を授けられました。4年生修了後、京都に旅行して琵琶湖疏水路を踏査し実測の準備に入りました。そして卒業論文に「琵琶湖疏水計画」を書きました。
―― この出張に当たって校長大鳥圭介は、中央気象台長荒井郁之助に意見をもとめました。郁之助は田邉朔郎の叔父田邉太一の義兄であり、大鳥にとっては函館五稜郭戦争の戦友です(陸軍奉行と海軍奉行)。その手紙が京都の琵琶湖疏水記念館に展示されています。
―― 当時、京都府知事北垣国道(私の曽祖父【父の母の父】)は、琵琶湖疏水を計画していました。北垣は工事を日本人だけでやりたいと考えて工部大学校に大鳥圭介を訪問しました。大鳥は朔郎を紹介しました。朔郎の卒業論文が現実のものとなりました。これに因んで現在東大土木同窓会が、「古市賞」とともに「田辺賞」を設営しています。「田辺賞」http://www.civil.t.u-tokyo.ac.jp/alumni/japanese/syou.htmlは優秀な卒論を書いた人に与えられる賞とのことです。
―― 1890(明治23)年4月9日、明治天皇陛下の御行幸を拝し奉った通水式において閘門の開閉を指揮した。また少し遅れて世界最大(出力800kw)の水力発電を完成させました。これは世界最初の売電事業用(商業用)水力発電でした。
―― 田邉朔郎は、土木科卒業であるので「土木エンジニア」と言われていますが、「電気エンジニア」でもあります。また琵琶湖疏水の水力発電所建設にあたり、ペルトン水車の回転速度調節器を発明したり、北海道全線鉄道を敷設した際に車両の自動連結器を発明して実用に供したりしましたから、「機械エンジニア」でもあります。
―― 現在、多くの大学の工学部の英文名称は、工学を表す「Faculty of Engineering」です。この工学部教授でありながら、エンジニアと呼ばれるに相応しい人材は多くはありませんが、朔郎は間違いなくエンジニアでした。
―― エンジニア田邉朔郎に関しては、拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」(国会図書館蔵)http://www.bk1.jp/review/0000445315において一族とともに紹介しました。







