前回に引き続いて、わが国エンジニア教育史を語る基盤としての「4世代にわたる東大工学部と京大工学部縁者の視点」を紹介しています。
―― 私の父親、田邉多聞は、1921(大正10)年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業しました。卒業後内務省に入省し、朝鮮総督府鉄道本局(朝鮮鉄道)に奉職しました。
フランスやドイツやスイスなどの進んだヨーロッパの鉄道網調査に2回、長期出張してその優れた技術を参考にして独自の鉄道システムを開発しました。
―― 京都大学で教授をしていた父親田邉朔郎(私からは祖父)の下で育ったので、京都府立一中から第三高等学校(三高)を卒業しました。三高は、後に京大教養部(1~2年生)となりました。
ですから私の父親、田邉多聞は、簡単にいうと京大卒/東大卒です。
―― 因みに紹介します。田邉多聞が卒業した時期は、明治の武力で政権をとった官僚とは異なる官僚が大きく台頭してきた時期でした。
高等文官試験に合格した超エリート官僚が政治をやっていた時代でした。大正デモクラシーによる民主主義的議会制度は定着せず、官僚が政治をやる時代でした。
―― 多聞は工学部卒業した後、東大法学部政治科に入学し卒業するとともに、高等文官試験行政科に合格して内務省に入省したものです。
エンジニアであり、高等文官でもあったので大変な活躍をしました。大東亜戦争の敗戦直前には47才にして官位正五位の勅任官となっていました。
―― 田邉多聞に関しては、拙著[びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」http://www.bk1.jp/review/0000445315(国会図書館蔵)で紹介するとともに、拙著「生涯現役エンジニア」http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31832743の53ページ、「法科万能主義」で紹介しました







