わが国のエンジニア教育史を語る上で活用した身内の生の情報源を紹介しています。前回までに「函館五稜郭の戦いを指揮した幕臣子孫の視点」を紹介しました。
今回は、わが国エンジニア教育史を語る基盤として「4世代にわたる東大工学部と京大工学部縁者の視点」を紹介します。
―― 祖父田邉朔郎は、1883 (明治16)年に工部大学校を卒業しました。この工部大学校は、1886(19年)に帝国大学に移管されて帝国大学工科大学となりました。
―― 帝国大学工科大学は、東京帝国大学工科大学 ⇒ 東京帝国大学工学部 ⇒ 東京大学工学部をへて現在の「東京大学大学院工学研究科」となりました。
―― さらに田邉朔郎は、1890(明治23)年に担当したびわ湖疏水の完成とともに帝国大学工科大学の教授に就任しました。
そして1900(明治33)年に第二の帝国大学が京都にできた際、「びわ湖疏水ゆかりの地」にある京都帝国大学工科大学の教授に就任し、ここで停年まで教授として奉職して京大名誉教授となりました。
ですから、簡単にいうと私の祖父田邉朔郎は、東大卒の東大教授、京大教授、京大名誉教授です。
田邉朔郎に関しては、拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」(国会図書館蔵)http://www.bk1.jp/review/0000445315
に詳述しました。







