グラスゴー大学から工部大学校へ赴任してきた多数の先生のトップは25歳のヘンリー・ダイアーでした。授業はすべて英語で行われました。
―― 学生のほぼ100%が武士の子
でした。武士の中でも、幕臣を中心とする武士の子でした。戦いに敗れた反新政府側の武士の子孫は、この道しかなかったものでしょう。田辺コンサルタントの祖父田邉朔郎がその典型です。
―― 3Kに挑んだ武士の子
廃藩置県によって家禄を失った武士の子が生計を立てる道として「士」を捨てて「工」の道に入りました。生活がかかった武士の子は、赤羽工作所で油まみれになってテクニシャンとともに工作機械の操作に励みました。また全国各地にでかけて自ら測量して運河などの設計に励みました。
―― ヨーロッパでは、サイエンスよりも低いと見做されていた工学(エンジニアリング)に、武士の子が挑んだのです。これが明治の工学です。武士の子が「3K」(汚い、危険、きつい)に挑んだのです。これは岩倉使節団の結論「国力は工学」に答えるものでした。
本件に関しては拙著「生涯現役エンジニアの第一章13ページ「お雇い外国人教師」の項を参照してください。以下のURLを開いて見ていただけますか? http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31832743







